金印 <隠蔽の経緯>
漢の冊封は一国主義 (例外 牽制) 外国からの珍品入手政策は 関係諸国を事前調査して それらの中から要になる一国を選出 金印を授けている(冊封) BC109年 対インド(身毒) 滇国(雲南省) 張騫 BC122年の現場調査(史記大宛列伝) BC109年 対ベトナム(南越) 夜郎国(貴州省) 唐蒙 BC135年の現場調査(史記西南夷列伝) AD 57年 対日本列島(倭国) 奴国 現場調査なし 政商を通じて情報入手 107年 伊都国朝貢すれども冊封なし 理由:既に奴国を冊封 後漢の政商 前漢は 重農抑商主義 商工を抑え 塩鉄の専売制を敷く 商人は密交易に走る 後漢は 重商主義 商人資本を利用 密交易で利益を上げた商人が政商 その取引相手に安曇族(奴国) 奴国は 斉の政商の仲介で直接洛陽へ(楽浪郡を介さず) 奴国は 公認交易(通商証)として冊封即ち金印(宝物)が欲しかった 魏の時代 倭国の現地調査を実施 目的に冊封対象国の選定
調査項目 国の位置 住居数 風習 調査方法 調査員の足で確認踏査 調査報告 確認できたところだけを報告 冊封対象国の判断ができれば OK その報告書が 魏志倭人伝 結果 邪馬台国に冊封を決定 奴国に 後漢の冊封の金印の返却を求めた可能性あり 奴国は 返還せず隠蔽 何処に(山たて写真) (理由:一旦亡びた漢の再興(後漢)の王莽の新の例) AD239年 卑弥呼帯方郡経由で朝貢(金印仮授) |