住吉神社1福岡市
安曇族を解き明かすヒント
 宮地直一は 著書「安曇族文化の信仰的象徴」(穂高神社 1949年)の中で 安曇野に在る穂高神社と住吉神社に関して 次のことを指摘してながら 今後の課題としている。
(1) 安曇野の南北方向のほぼ中央線上に 穂高神社(北)と住吉神社(南)が並んでいる。 
(2) 住吉神社に関する記録は 吾妻鏡に住吉の地名として出ているのが最古で それ以前のことはわからない。 
(3) これらの二社は ともに海神を祀っている点で共通しているが 少なくとも記録がある鎌倉時代以降を見る限り それぞれ関係することなく発展してきた。 でも 穂高神社と住吉神社は 創建の根底で何らかの関連性があるのではないだろうか。 
(4) 筑前の住吉神社(福岡市博多区)の南東に犬養(犬飼)村があり 安曇野でも住吉神社の南東に 犬養氏が出た犬甘島という地名がある。 このことは 住吉と犬養とのつながりを暗示しているようにも思えるが実態はわからない。 だから 安曇族と住吉神社と犬養(飼・甘)との関連性を調べると 何かわかってくるかもしれない。


 この宮地の掲げた課題を受けた形で 小穴芳實も 「豊科町の土地に刻まれた歴史」(豊科町教育委員会 1991年)で 福岡市には志賀海神社と住吉神社 壱岐及び対馬にも 海神社・和多津(都)美神社・住吉神社があって これらの地は安曇氏が栄えたところだと指摘している。 また 住吉神社が祀る筒男三神は オリオン座の三ツ星に由来するのではないか という大和岩雄の説を紹介している。 
住吉神社と犬飼
 この安曇族ゆかりの神社と住吉神社との関係 及び 住吉神社とオリオン座との関係については 後で説明するとして まず 福岡市にある住吉神社と犬飼の話をする。
住吉神社(福岡市博多区住吉町)
犬飼大神宮(イヌカイオオカミグウ:福岡市博多区博多駅南3丁目(旧犬飼町)
左写真の社殿に向って左に見える白い四角形が 右写真 
 宮地が掲げた課題の「住吉神社と犬飼との関係」を解き明かす手がかりでもつかめればと思い 日本三大住吉(注)の一つで 日本最古とも称されている福岡市博多区の住吉神社(写真上段)と犬飼大神宮(写真下段)を訪ねた。 
 住吉神社は 福岡市の博多駅近くにあり 犬飼大神宮は 鹿児島本線を挟んで 住吉神社から南東方向に歩いて約15分ほどの博多駅南3丁目にあった。
(注):福岡市博多区の住吉神社 下関市の住吉神社 大阪市住吉区の住吉大社
 
 宮地は 犬飼という地名を取り上げているだけで 特段 犬飼の名がついた神社については何も触れていないが 現在 福岡市に宮地がいう犬飼の地名はなく その名残が犬飼大神宮だけに留められている。
 写真を見てわかるとおり 住吉神社の広い敷地に比べ 犬飼大神宮は小さい。 カメラを片手にした私が 犬飼大神宮の回りを歩き回っていると 不審者に見えたのだろう。 スポーツウエアを着て缶コーヒーを片手にした年配の男性が現われた。 少し話をしていると 不審も解けたのか その男性は ここの宮司だと言って 次のような話を聞かせてくれた。 
 博多駅が現在の地に移って町名変更がある前まで この犬飼大神宮がある博多駅南地域のほとんどが犬飼町だった。 また 以前 犬飼大神宮の周りは 木が繁った森であったが そこを公園にしたので そのとき現在地に社殿は移転した。
 そういわれて周りを見回すと 現在の犬飼大神宮の周りは小さな公園になっているが 何本か生えているクスノキが以前の鎭守の森の面影を残していた。
 
 住吉神社と犬飼大神宮との関連は 何もつかめなかったが 二社の共通点をあげれば 住吉神社が 記紀に出てくる底・中・表筒男命を主祭神に 天照大神・神功皇后も祀っているのに対し 犬飼大神宮が天照大神を祀っていることだけだった。
 この住吉神社と犬飼の地名に関し 下関の住吉神社・大阪の住吉大社の周辺地域に犬飼の地名があるかどうかを ひととおり 地図上で探してみたが 今のところ何も見あたらない。したがって 福岡市と松本盆地の二地域に 住吉神社と犬飼の地名があることを頭に留めて今後の課題とするが 現時点では何も言えない。 以上がこの項の結論になる。
 なお 福岡市の住吉神社は西向きに鎮座している。
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綿津見神を祀る神社と 筒男命を祀る神社を一対のペアで配置  
 ところで 宮地の指摘で 住吉神社を調べるきっかけになり 小穴の「安曇族が栄えたところに住吉神社がある」 という指摘で 記紀に出てくる底・中・表綿津見神(少童)を祀った安曇族系神社と 底・中・表筒男命を祀った住吉系(津守氏)神社が はたして 一組のペア(pair)で存在しているかどうかを地図上で調べてみた。
 
 確かに 安曇野では穂高神社と住吉神社 福岡市では志賀海神社と住吉神社が 安曇族系神社と住吉系神社として 一つの地域のなかでペアに位置している。 そこで 他に安曇族系神社については 対馬の和多都美神社 大川市の風浪宮 神戸市の海神社 名古屋市の綿神社 一方 住吉系神社については 壱岐の住吉神社 下関市の住吉神社 明石市の住吉神社 神戸市の本住吉神社 大阪市の住吉大社の都合9地域を対象にとりあげた。 結果は 下の表のとおり。 7地域でペアが見られ 残り2地域の大阪市では 現時点では不明確 名古屋市では ペアは認められなかった。

綿津見神を祀る安曇族系神社 筒男命を祀る住吉系神社 2社間距離
神社名 所在地 神社名 所在地
和多都美神社 長崎県対馬市豊玉町仁位 住吉神社 長崎県美津島町鴨居瀬  8.5km
箱崎八幡神社 長崎県壱岐市芦辺町箱崎 住吉神社 長崎県壱岐市芦辺町住吉 5.0
志賀海神社 福岡市東区大字志賀島 住吉神社 福岡市博多区住吉町 13.0
風浪宮 福岡県大川市酒見 高良大社 福岡県久留米市御井町 19.5
和布刈神社 北九州市門司区門司 住吉神社 下関市一宮住吉町 4.5
海神社 神戸市垂水区宮本町 本住吉神社 神戸市東灘区住吉宮町 21.0
穂高神社 長野県安曇野市穂高 住吉神社 長野県安曇野市三郷温楡 7.0

(安堂寺町) 大阪市中央区安堂寺町 住吉大社 大阪市住吉区住吉町
綿神社 名古屋市北区元志賀町

 対馬の和多都美神社と住吉神社
 長崎県対馬市豊玉町にある和多都美神社は 御祭神に彦火火出見尊 豊玉姫命を祀り 阿曇磯良のお墓があるといわれるように 安曇族とかかわが深い神社である。
 対馬には住吉神社が三社ある。対馬の美津島町鴨居瀬にある住吉神社は 由緒によると 創建は神武天皇の時代で 神功皇后のとき住吉神社と称し 祭神に底・中・表筒男命を祀っている。 現在 同町の鶏知にある住吉神社は この鴨居瀬から遷ったとされたとなっているが 筒男命は祀っていない。
 また 対馬市厳原にある住吉神社も 御祭神に底・中・表筒男命を祀っているが 創建が何時の時代かはわからない。
 したって 和多都美神社と鴨居瀬の住吉神社をペアとして扱った。

2 壱岐の住吉神社と箱崎八幡神社
 住吉神社は 壱岐市芦辺町住吉東触にあって 御祭神に底・中・表筒男命を祀っている。創建が 三韓征伐に赴いた神功皇后が帰路に寄ったときとされている式内社である。
 壱岐には24ほどの式内社があって その中から安曇族系神社を探すと 住吉神社から北東に6キロほど離れた同じ芦辺町箱崎釘の尾触に 御祭神に豊玉毘古命・豊玉姫命・玉依姫命を祀る箱崎八幡神社がある。
 その他 郷の浦町渡良浦小崎に 無格社の和多津美神社があるが 御祭神に綿津見神を祀っていないし 創建が記紀の時代より大きく下がった豊臣秀吉の時代になっている。
 したがって 壱岐では 住吉神社と箱崎八幡神社をペアとした。

3 志賀海神社と住吉神社は 既述(省略)

4 大川市の風浪宮と高良大社
 風浪宮は 安曇族の祖である磯良丸によって創設され 御祭神に底・中・表少童命を主祭神に 住吉大神・高良玉垂命も祀っている。 この風浪宮に最も近いところの住吉神社を探すと 熊本県玉名市に外嶋住吉神社があるが この神社は 創建が1069年とあるので 風浪宮の創建と大きく離れているから ペアとは言えそうにない。 その他の神社で筒男三神を祀った筑後国一宮の久留米市にある高良大社があった。
 したがって 風浪宮と高良大社をペアとしてあつかう。

5 
下関市の住吉神社と北九州市の和布刈神社 
 
下関市に三大住吉の一つの住吉神社がある。その周辺で 安曇族系神社としては 下関市と関門海峡を挟んだ対岸の北九州市門司区に和布刈神社がある。御祭神に 日子穂々手見命 豊玉日売命 安曇磯良神など 安曇系の神々を祀っている。 だから 住吉神社と和布刈神社はペアである。 

6 神戸市の海神社と本住吉神社
 神戸市垂水区の海神社は 綿津見神社とも書き 御祭神に底・中・表綿津見神を祀っている。この海神社の近くで住吉三神を主祭神にしている神社は 神戸市東灘区の本住吉神社と兵庫県明石市魚住町の住吉神社がある。 両社の創建を比較すると 神戸市の本住吉神社が神功皇后の三韓征伐に由来するのに対し 明石市の住吉神社は三韓征伐の由来で創建された神社からの勧請で創建したということなので ここでは古い方の本住吉神社を海神社とのペアとした。
 
7 
穂高神社と住吉神社は 既述(省略)

1 大阪市の住吉大社と安曇族ゆかりの地
 大阪市住吉区に 区の呼称になっている住吉大社がある。その北側の中央区に 安曇族のゆかりの地といわれる安堂寺町がある。この安堂寺町は 日本書紀巻第二十五の孝徳天皇の項に 「白雉4年(653年)に 孝徳天皇が安曇寺で病に臥す僧の旻
(注1)を見舞った」と出てくる安曇寺の地名が その後 安堂寺に変わり 現在 中央区に 安堂寺町・安堂寺橋の地名として残っているのだ。 
 その安曇寺は 安曇族の根拠地の安曇江(アドエ)に近かったので 安曇族系神社が在った可能性はあるが その痕跡など証拠は 今のところ見つからない。だから この大阪市の地域には 住吉大社とペアに安曇族系神社
(注2)があったとは言えない 。 
 
(注1): 旻(?〜653年) 608年遣隋使の小野妹子に随行して隋へ渡り 祥瑞思想を学んだ僧で 白雉が献上されたことを祥瑞だと評して それまでの大化を白雉に改元された。旻は安曇寺で学問を教えていた。
(注2):現在の船場南地区は かって安堂寺町だった。 旻が居た安曇寺の正確な位置はわからないが 坐摩神社と間近だったと言えるだろう。

 
 名古屋市の綿神社と住吉三神
 名古屋市熱田区の金山駅の近くに 住吉神社はあるが 創建が1734年ともいわれているので 弥生時代に創建された綿神社とペアとは言えない。また 熱田神宮は 住吉系神社の津守氏と同系の尾張氏の神社であるが 住吉三神を祀っていないので やはり 綿神社とペアとは言えない。 


 以上のとおり 調べて見ると 綿津見三神を祀る安曇族系神社と 筒男三神を祀る住吉系神社がペアの形で位置している地域が 9地域中7地域にあった。ここでは この数値の多寡を吟味しても意味がない。 また 地域内の2社をペアととらえたことの是非を問う必要もない。 ただ事実として 2社間の距離が 遠いところで20キロ余り 近いところだと5キロ未満しか離れていない位置に 綿津見神と筒男命という海の神様を祀った神社があった ということだ。 この事実は大切で なぜ 同じような海の神を 近距離内に鎮座させる必要があったのか また 綿津見神と筒男命の相違点を探すという課題につながって来る。

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